令和7年12月
地域医療連携室 江幡 節子
精神科看護の今昔
定年を迎えるにあたり、35年の看護師人生を当院で昭和~平成~令和を過ごし感じていることをお伝えしようと思います。
初めて当院に足を踏み入れたのは昭和56年。当時、敷地内には准看護学校があり、その試験を受けた時でした。鬱蒼と茂る森の中に隠されたように建っている「療養所」というにふさわしい雰囲気でした。看護学校を卒業後、そのまま就職し1-1病棟で働き始めました。当時の精神科は長期入院がほとんどで患者さんの年齢も高く、着物を着ている方や日本髪を結っている方もいました。看護師(当時は看護婦)の仕事は、食事の配膳や日常生活の援助、患者さんと一緒に散歩や作業療法を行うことが中心でした。そのため、患者さんとの距離がとても近く、たくさん話を伺うこともできたので、若造の私にとっては人生の勉強もさせてもらったなと感じています。
その後、進学等で5年ほど当院を離れ、平成3年に戻ってきました。たった5年ですが、その間の変化は大きく「療養所」の雰囲気が「病院」へと代わったなと感じました。それでも患者さんと過ごす時間が多く、院内行事の運動会や納涼盆踊り等を一緒に楽しんだ記憶が強く残っています。当時から当院に通院をされている患者さんとたまに外来でお会いすると「あの頃は楽しかったよね」と昔話で盛り上がったりもします。
当院が「精神医療センター」にかわり、精神科救急をはじめる頃からの変化は更に大きく、病棟集約での専門性の強化や電子カルテ導入など時代にあわせて看護も変化をしてきました。それでも、看護部の理念である「こころに寄り添う看護」を目指し、ひとりひとりの看護師が日々頑張っている姿を見ると、時代や環境が変化しても変わらないものがまだここにはあるのかなと感じています。
精神科看護をやりたくで当院に集まった看護師の仲間が、自分らしく輝いていける、そんな病院であり続けてほしいと切に願っています。


