下総精神医療センター

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ヒトの行動原理と条件反射制御法

−望まない神経活動の再現とその抑制−

独立行政法人国立病院機構  
下総精神医療センター      
 薬物依存治療部長 平井 愼二

1.行動を司る反射
 行動を司る神経活動はパヴロフ学説に関する書物から次のように理解される。
 神経活動は全て反射を作るものであり、遺伝子に組み込まれている無条件反射と生後に獲得する条件反射に分かれる。
 無条件反射は連鎖的に作動して、生命を保ち、次世代に繋げる防御、摂食、生殖の本能行動を司る。これらの行動に成功した際には生理的報酬を獲得する。生理的報酬の効果は、それを獲得する前に生じた神経活動を再現しやすい形で定着させるものである。
 個体は、防御、摂食、生殖を行う際に環境からの刺激に対応して行動し、その後、生理的報酬を獲得する。その体験を通じて、環境に対応した行動を司った神経活動は生理的報酬効果により定着し、個体が環境に適応する方向に進む。この現象において環境に応じて個体に新たに定着する神経活動が条件反射であり、適応行動を作る。
 パヴロフは、ヒトを含むすべての動物は体内外の環境からの刺激に対して定型的で無意識的な反射連鎖で行動するシステムをもつとし、これを第一信号系と名付けた。
 また、これに加え、ヒトは体内外の環境からの刺激に対して自由で意識的な反射連鎖の作動により、評価、予測、計画、決断、実行を行うシステムをもつとし、これを第二信号系と名付けた。この第二信号系はヒトの思考にあたるものであり、ヒト以外の動物にはない。
 このパヴロフ学説に基づいて、ヒトの行動を司る神経活動を次の3つに分けて考えることが種々の行動を理解し、対応する際に適切である。

1)先天的反射連鎖

 個体の誕生前までに、つまり、前世代までに環境に適応する現象において成立した反射連鎖であり、定型的で無意識的なものである。

2)後天的反射連鎖

  個体の誕生後に、環境に適応する現象において成立する反射連鎖であり、定型的で無意識的なものである。

3)第二信号系反射網

  個体の誕生後に獲得するものであり、反射は網状に連結しており、種々の刺激が絡まり合う自由で意識的なものである。

2.受動的進化と能動的進化
 ダーウィンの学説にある自然淘汰は進化の受動的なところを受け持つ。この現象は、ある生物種において、それがもつ遺伝子の範囲内で環境に適した遺伝子をもつ個体の割合を増加させる。
 パヴロフが考えた次に記す条件反射の現象と遺伝は進化の能動的なところを受け持つ。ある生物種が新たな環境に入り、そこで刺激を受ければ何らかの反応があり、良好に対応する行動つまり適応行動を司る反応が条件付けられる。その刺激と反応の関係が何代にも渡って保たれた場合に、当初の世代においてはその行動を司る反射連鎖は生後に獲得される後天的反射連鎖であったが、わずかずつ遺伝し、後の世代においてはその生物種の遺伝子に組み込まれ、先天的反射連鎖になる。この現象においては、環境に応じた新たな形質を表現する遺伝子を組み込むことにより、ある生物種がもつ遺伝子の範囲が広がり、進化をもたらす。
 個体の一生は前世代から受け継いだ遺伝子を、条件反射の現象により環境に適応する方向に変化させて次世代に送り、進化を支えるものである。このように捉えて、ヒトを含む動物の行動原理を検討するべきである。

3.望まない行動、知覚、気分の再現
 生理的報酬は本来、進化を支える行動、つまり防御、摂食、生殖に成功したときに生じるものである。この生理的報酬を覚醒剤やアルコール等の物質も薬理作用の結果としてもつ。従って、それらの物質を摂取する行動は後天的反射連鎖の作動により再現される。賭博や万引きの反復は摂食をする際の狩猟や採集に類似した行動であり、PTSD、反応性抑うつ、リストカット等は原因事象を防御に成功した体験であると捉え、成立した後天的反射連鎖の作動として再現されるものであると理解すべきである。
 ヒトが物質摂取、賭博、万引き等の行動をとる場合は、当初は第二信号系反射網により行動を司り、反復によりそれらの行動を司る後天的反射連鎖が成立する。過去にそれらの行動を起こしたときに存在した刺激を受ければ強制的にそれらの行動が再現される。この再現を第二信号系反射網が中断しようとしても、止まらない程度に後天的反射連鎖の作動性が強いとき、物質摂取、賭博、万引き等の行動を制御できない状態となる。
 物質摂取反復はヒトを社会的に困難な状態に陥れ、また、健康にも多大な害悪をもたらし、死に追いやることさえある。そのような物質摂取反復をヒトの個体が選択する現象は個体の一生を見ると不思議である。ところが、後天的反射連鎖の作動性が優勢であり得るのは、それが進化を支える現象、つまり、生物種全体を保つ現象であるのに対し、第二信号系反射網により決定した物質摂取を中止するという行動の方向はその個体を保つことを目的としたものであることに着目すると自然である。
 過度の物質摂取が反復後に生じることに対し、PTSDは生命の危機から生還した防御の体験に基づくので、一度の体験で後天的反射連鎖が成立することが自然であり、現実のヒトに関する知見もそのような理解が正しいものである。
過去に反復した問題行動は日常生活の通常行動から移行するものであり、再現される行動の起点となる刺激は種々のものがある。また、偶発的な防御行動を行ったときの状況にあった刺激と同様のものが日常生活に存在することはよくある。このように望まない神経活動を引き起こす刺激は周囲に多数有り、従って生理的報酬獲得に至る行動の経路は複数あり、これらが収束して最終行動を司る反射連鎖の作動に至る。

4.条件反射制御法
 条件反射制御法は後天的反射連鎖に働きかけて、望まないが生じていた行動あるいは知覚、気分を司る反射が生じないようにするものである。大きくは次の二つの作業に分かれる。
1)負の刺激の設置と効果
 第一法は、任意の刺激を設け、その信号を作動させた後には標的とする行動をとらない事実を作ることを意図的に反復するものである。
 任意の刺激は、例えば閉鎖病棟や刑務所等で開眼したまま「私は、今、覚醒剤はやれない」と言いながら、胸に手を当て、離して拳を作り、その後、親指を拳に握り込む等の簡単で特殊で意図的な動作が適切である。意図的に前記の任意の刺激を行うことは、標的行動を意識することであり、従ってまずは標的行動を司る神経活動の一部が開始される。また、同時に任意の刺激における動作および言葉の刺激を大脳に受け、この後、必ず生理的報酬獲得行動は中断されるのである。この反復により任意の刺激は、後には、負の刺激として成立する。
 つまり、標的行動への欲求が生じても、意図的に負の刺激を作動させれば、標的行動を司る後天的反射連鎖は第一信号系内で制止を受け、欲求は数秒で消え去る。
また、開眼してこの負の刺激を反復することから、視認したものは、標的行動を促進しないものに変化する。従って、いつも覚醒剤をやりたいという状況が治まる方向に進む。

2)終末に生理的報酬がない標的行動を司る反射の作動
 第二法は、意図的に標的行動を行い、しかし、終末に獲得するはずの生理的報酬を獲得しないことを反復するものである。
 生理的報酬がない行動は進化を支えないので、そのような行動は生物種に必要がなく、その反射連鎖は抑制される方向に進む。従って、標的とする反射連鎖の再現を反復することによりその作動性は低減し、後にはその再現を、頻度を抑えても維持すると作動性は低減したままになる。
 この第二法は、臨床においては望まない行動の疑似、想像、作文とその読みによりなされる。疑似においては、例えば注射での薬物摂取を反復する者に対しては、写真1および動画1のように疑似静脈注射キットを使用し、疑似血液の逆流を視認する作業、あるいは医薬品摂取を反復する者に対しては、写真2の薬理作用のない錠剤型食品を用いることが効果的である。

5.望まない行動が再現するヒトに対する働きかけ
 覚醒剤反復摂取等の望まない行動が再現するヒトはその行動の反復傾向(欲求)を根幹に持ち、その他に精神病症状、社会性(就労能力や対人関係能力)の低下等を併せ持つことが多く、必要に応じて、これらへの働きかけが求められる。
 望まない行動を司る後天的反射連鎖の過作動には条件反射制御法が対応する。この技法で標的の後天的反射連鎖が抑制されても、同じ行動を第二信号系反射網(思考)が実行できる。従って、第二信号系反射網に対して働きかけることが必要であり、標的行動が違法行為であれば法による抑止力を設定することが効果的である。
精神病症状には精神科医療が対応すべきである。
 社会性の低下には、社会復帰施設等での訓練が効果的である。社会性の回復を怠れば、社会との摩擦が生じ、個体にストレスを与え、これは個体の存続つまり進化を妨げる方向に働く。これに対して、個体の後天的反射連鎖は進化を支える方向に動き始め、過去に反復した生理的報酬獲得行動の反射連鎖は作動開始の閾値が低いため、それが選択され、作動しがちである。

写真1:覚醒剤摂取動作を行う疑似静脈注射キット。

 先端に針はついておらず、銀色の部分に仕掛けがある。銀色の部分を針に見立て、静脈に差し入れる動作を真似た後に内筒を引き、疑似血液の逆流を視認する。患者には、覚醒剤摂取の準備段階で動機、口渇、腸蠕動亢進等が、疑似注射後に戦慄等が再現される。
(協力: ニプロ株式会社)

動画1:疑似静脈注射の動画  Windowsパソコン用  MACパソコン、iphone、ipad、Android用

 上のリンクをクリックするとキット(ニプロ株式会社作製)を使って疑似静脈注射をしている動画が見られます。薬物を静脈注射で乱用していた方は欲求を生じることがありますので、見ることを勧めません。
 薬物を静脈注射で乱用したことがあっても、すでに条件反射制御法を受け、維持作業を続けている方、並びに薬物を静脈注射で乱用したことのない方はどうぞご覧下さい。

写真2:薬理作用のない錠剤型の食品

 睡眠導入剤、抗不安薬、鎮痛剤等に条件付けられた患者に対して、薬理作用がないことを告げた上で、服用させる。屯用薬を求める患者に対して、服用回避を説得する必要はなく、職員と患者の間の摩擦はなくなる。また、服用することにより過去には生理的報酬を獲得した行動を行い、しかし、生理的報酬がないので、 睡眠導入剤、抗不安薬、鎮痛剤等を摂取する行動は抑制される。(協力:メトグリーン株式会社)

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