下総精神医療センター

研修情報

嗜癖行動の生理的メカニズムと条件反射抑制療法

独立行政法人国立病院機構下総精神医療センター
薬物依存治療部長
平 井 愼二

規制薬物を反復して摂取する者はいろいろな問題を持っている。現在、規制薬物復摂取者への対応は種々のものがあるが、処遇に設定するべきものは法による抑止力と治療である。過去には嗜癖行動の生理的メカニズムが不明であったために、治療は困難を極めた。有効な治療法がなかったことが、我が国の薬物乱用対策が刑事司法体系による働きかけが優位になっていることの原因の一つでもあろう。

 このような状況の中で、下総精神医療センターでは、嗜癖行動の生理的メカニズム解明につながる発見があり、それに基づく理論を2006年6月から治療に反映させ、この治療経験において新たに種々の現象を把握し、飛躍的に有効な治療法を確立した。

これらの経験と検討を経て把握した嗜癖行動の生理的メカニズムおよび欲求を抑制する条件反射抑制療法の基本的なところを簡単に紹介する。

1.思考に反して薬物を摂取する病態

a.反射の連鎖がつくる生理的報酬獲得行動の再現

 パヴロフは、反射が進化を支える重要な機能であると考え、生体による全ての活動あるいは行動は、生体内外の環境からの刺激に対する反射であるとした。また、反射を生来的で無意識的な無条件反射、学習による無意識的な第一信号系条件反射、学習による意識的な第二信号系条件反射の3つに分けた。そのうち、第二信号系条件反射はヒトのみがもち、言葉が信号となる思考であるとした。さらに、無意識的に生じる定型的な行動は、一つの動作を司る反射回路の反応が次の回路の刺激となって、反射回路が連鎖的に作動することにより動作が連続し、一連の行動として成立するとした。

 生理的報酬を獲得する行動の再現は、生体が特定の生理的報酬が終末にある行動を反復したために第一信号系内にその行動を司る条件反射の連鎖が成立し、刺激として成立した信号に曝露されれば反射の連鎖が作動し、生じるものである。また、環境には生理的報酬と関連づけられた事物は多々あるので、反射の連鎖は複数の起点があり、報酬獲得に向かうに連れて、枝が幹に収束するように複数の連鎖が合わさり、報酬獲得直前では例えば物質摂取動作を司る一本の反射の連鎖に収束すると想定できる。

b.信号系間の優劣がつくる依存と呼ばれる病態

 ヒトによる無条件反射のうち、比較的大きな動作で周囲に働きかける定型的な一連の行動として成立しているものは、環境との間で世代を超えて保たれるものは少なく、新生児による乳探し反射および吸引反射等の極一部のものに限られている。従って、通常、成人が周囲に働きかける行動のほとんどは、第一信号系条件反射あるいは第二信号系条件反射が司るものである。

 古い歌謡曲の歌詞に「わかっちゃいるけど、やめられない」というフレーズがあり、これは依存という病態を的を射て表現している。依存という病態のメカニズムは、次のように理解されるべきである。生理的報酬を得られる物質の摂取あるいは行動を再現するのが第一信号系条件反射の連鎖の作動である。この再現を状況に応じて不適切と判断し中止しようと働くのが第二信号系条件反射、つまり思考である。また、この二つの系の間の摩擦が欲求あるいは渇望であり、ときには恐慌にまで至る。特定の生理的報酬の獲得を過去に過度に反復して成立した第一信号系条件反射の連鎖の作動が固定的となり、現在の状況を判断して柔軟に対応する第二信号系(思考)の作動性よりも第一信号系条件反射の連鎖の作動性が優先することが多くなったヒトが、依存と呼ばれる病態を示すことになる。つまり、第二信号系条件反射(思考)は報酬の獲得はやめるべしと「わかっちゃいるけど」、第一信号系条件反射の連鎖の作動性が優勢であるために「やめられない」のである。

2.条件反射抑制療法

 依存と呼ばれる病態を持つ者は種々の問題をもつが、欲求を抑制することがこの病態の治癒には必須である。そこに焦点を当てた治療法がこの条件反射抑制療法である。

 欲求を生じさせない方法を純粋に求めると、第一信号系条件反射の連鎖の作動に対して、これを止めず、十分な生理的報酬を与えるというものが理論的には可能であるが、これでは依存という病態の治療にはならない。現実的には、第一信号系条件反射の連鎖の作動に対して、それ自体を生じなくすること、および生じた作動を抑制することの二つがある。

 筆者の臨床では条件反射抑制療法を2006年6月から用いており、現在では基本的入院治療プログラムを10週および12週で組み、この間に積極的な患者は下記のaおよびbの作業を合わせて1000回を越えて行う。

a.第一信号系条件反射の作動性自体の抑制

 これは、主に生理的報酬獲得の直前にある連続した動作を真似することにより、その動作を司る条件反射の連鎖を作動させ、しかし、報酬は与えないことを反復するものである。これにより、その部分の条件反射の作動性が抑制されるだけでなく、連鎖上の反射回路間には結合があるために、条件反射は連鎖の起点から全て抑制される。従って、樹木の形状のように想定される条件反射の複数の連鎖の全てにおいて、いずれの起点あるいは途中の反射回路が刺激に曝露されても、条件反射の連鎖は作動し難くなる。従って、環境の中に生理的報酬に対して反射を起こす信号がなくなるので、欲求が起こらなくなる。

 疑似摂取は、条件反射の連鎖を起点から辿らせるために現実に似せたものでは、家族との口論を再現し、「頭にきたなぁ」のように焦燥を表現する言葉を発し、売人との携帯電話での交渉を再現し、受け渡し場所への移動、状況を言葉で表し、覚せい剤の受け渡しの際に交わす言葉を再現し、覚せい剤に似せたビニールの小袋入りのカルキ抜きと針のついていない注射筒を渡され、近くのコンビニエンスストアで水を購入して、そこのトイレで静脈注射をするという設定で、偽覚せい剤を用いて、水溶液を作り、条件反射抑制療法用に作成した特殊キット(図1)に持ち替えて、実際には注射をしないが疑似血液の逆流を注射筒内に視認するということ等を行う。

 短時間で簡単に疑似摂取を再現する場合は、偽覚せい剤と器具を使用して、摂取の準備と注射の真似をする。

b.負の刺激の設定

 もう一つは、任意の信号(拳を握り開いて額を触る等の意識的に行う特殊で簡単な動作でよい)を準備し、この信号に自らを曝露しながら「覚せい剤はやれないんだ」と事実を確認する思考をすることを、多様な状況で反復するものである。この作業により、任意の信号は、仮に報酬獲得行動を司る条件反射の連鎖が作動し始めても、第一信号系内で直接それを抑制する負の刺激として成立する。社会内で仮に生理的報酬を求める行動が展開し始めても、成立した負の刺激の動作を行うことによりその行動を止めることが容易に出来る。

c.退院後の維持療法

 入院中は患者には条件反射抑制療法の作業を一日に10回以上行うことを求める。退院後は、治療を開始する前の状況に大脳生理の設定が戻らないように、疑似摂取と負の刺激の動作を毎日少なくとも数回ずつ行わせる。

3.他の障害および治療との関係

a.薬物乱用者がもつ障害

 冒頭にも示したように、薬物を反復して乱用した者は薬物への過度な条件付けをもつが、それ以外にも種々の障害をもつことが多い。例えば、家族を始めとする周囲の者を裏切って薬物を反復して乱用するため対人接触のパターンに問題が生じ、また、薬物摂取を中止しようとしてもできなかったため自己評価も低くなっている。さらに、薬物を常用する生活を長期に続けた者は、就労や就学ができないだけでなく、規則的な摂食や清潔を保つことさえできなくなっていることがある。これらの障害は条件反射抑制療法では改善しない。

b.他の治療法との併用

 条件反射抑制療法を受けると、薬物への欲求が急速に低下し、安定した精神状態に早期に至ので、他の療法の効果を十分に得ることを促進する。

 また、条件反射抑制療法で改善しないところは心理的障害あるいは規則的生活の乱れ等、多々あるので、長年、薬物を乱用してきた者は、条件反射を閉鎖的な施設で受けながら、心理療法を受け、その後、社会復帰施設で生活訓練を受けることが適切である。

(図1)

 写真は覚せい剤摂取動作を行わせる擬似静脈注射キット。針はついていない。先端部に仕掛けがあり、針を静脈に差し入れる動作を真似た後に内筒を引き、擬似血液の逆流を視認する。患者には、覚せい剤摂取の準備段階で動機、口渇、腸蠕動亢進等が、擬似注射後に戦慄等が再現される。

(協力: ニプロ株式会社)
(2010年3月29日更新)


 疑似静脈注射の動画  Windowsパソコン用  MACパソコン、iphone、ipad、Android用
 上のリンクをクリックするとキット(ニプロ株式会社作製)を使って疑似静脈注射をして いる動画が見られます。  薬物を静脈注射で乱用していた方は欲求を生じることがありますので、見ることを 勧めません。
 薬物を静脈注射で乱用したことがあっても、すでに条件反射制御法を受け、維持作 業を続けている方、並びに薬物を静脈注射で乱用したことのない方はどうぞご覧下さ い。

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